高橋まことのぼちぼちblogより抜粋
PartT 〜前略〜 さて、ぼちぼちの思いだしのお話。 窪川町からでした。 高知から西へ、夏休み気分満載のまま途中のマーケットでついにビーサン購入、ますますの夏休み気分♪♪♪。 着いた所は、窪川町体育館、昼飯に近所の定食屋で食事してましたら、何故かおやじが一人近付いてまいりました。なんでも原発反対派だそうで、訳の分からぬ事べらべら喋って飯食って去っていきました、ありゃなんだったのかいな?勿論飯代なんぞ頂いてはおりませぬ(^^;。 確かにあの頃は窪川に原発ができるとか出来ないとか騒いでましたっけ、でも、俺たちと何の関係があったのやら、わかんねー。 ライブは、若者だけじゃなくてちっちゃい子からじいさん婆さんまで、町中の人々のご参加でした。 さて、打ち上げしようと思いまさたが何せ小さい街、夜遅くは店も閉まっておりまして仕方なく町外れの街道沿いの、なぜか?道産子ラーメンざんす。餃子とラーメンとビールの打ち上げでした(^^;。 さてさて、次の日、また西に向かいます。目標地は、土佐清水市。 俺たちのおんぼろ楽器車を付け回すスクーター3台、良く見ると地元の高校生、しかも女子。あまりに飛ばして危ないのでとりあえず停車、サインと握手でお帰り願いました(^^;、土佐の女子は強いですな。 で、まだまだ旅は続くのです。 〜後略〜 PartU 〜前略〜 ぼちぼちの話の続きです。 さあ、土佐清水市に向かいますが、まずは足摺岬へ、四国最南端の岬めぐりです。 灯台まで行ってきました。黒潮洗う太平洋は雄大でありました。 で、土佐清水市市民会館、なんとPAなし?慌てて会館のPA機材総動員で何とか、時代と言うか俺たちはベンチャーズみたいなインストバンドじゃねーっつうの(^^;。 お客もそこそこでちゃんとしたライブでしたよ。 それでも打ち上げは立派でした。 高知名物、"皿鉢料理"一つの大皿に刺身、寿司その他の料理が満載の豪華な一皿、堪能しました。 で、次は何故かカラオケざんす。スナックのカウンターに全員横ならび、マイクを順番に回して熱唱しました(^^;。 どうもその時の"熱唱"が裏で流れている様です(-.-)。 まったく、壁に耳あり障子に目あり、油断なりませんが、そんな物で商売すんな!よろしくー。 しかし、この旅はここでお終いではないんです。 この後、旅は愛媛、松山まで続くんだす。それはまた。続く。 では。ま |
〜前略〜 あれはいつだったかな?夏の盛りに四国にツアーしました。神戸まで楽器車で、そこからフェリーで高松へ。 カフェバーみたいな所でライブ。お客はいたような居なかった様な(^^;。アマチュアの様なイベンタークンの自宅に泊めていただきました。 その頃は既にメンバーは4人でしたかな。 次の日、みんなで海水浴へ。淡路島から四国を結ぶ鳴門大橋の近くで海水浴♪♪♪。マネージャーの土屋クンが、蟹を捕まえるのがあれほど上手いとは! その頃の俺様、まったく泳げず浮き輪につかまり数十メートル先の岩にたどり着くのがやっとの有り様(^^;。足のつかない所は怖くて仕方なかったざんす(^^;。 海水浴は、砂浜でビール片手の日焼け専門が性にあってるぜい。 イベンタースタッフの乗ってたヤマハの250、2サイクルバイクに跨がって、ヒムロックはノーヘルで堤防ぶっ飛ばしてたな、音が甲高かったの覚えてます。 そう言えば、近くに、SHIDO と言う町があったなあ、ピストルズのベースはシドだなー、何て言いながら。 さて、次の日は四国の山越えまして、土佐の高知のはりまや橋へ〜♪♪♪。イベンタークンの持っていた真っ赤なNISSAN フェアレディ2000、通称SR311 2シーター。幌はずして風受けながらのドライブなのさ。 大歩危、小歩危を見ながらの珍道中。布袋クンが助手席にすわったら、頭一つフロントウインドウから出てしまい、何気にバランスが・・・・・。チキチキマシーン(^^;。 通称グリーンホール、キャパ500ぐらいかな?それでもほぼ満員、余程ロックに飢えていたのか凄まじい盛り上がり。ステージにあがるは、椅子は壊れるは、ライブ中、ずーっと土屋マネージャーとイベンタースタッフと会館のおやじがステージサイドで言い合ってました、何故か俺の耳に話し声が聞こえてくるんだよな(^^;。 まあ、この先出入り禁止で一件落着だったのでしょう。 打ち上げは何故かカレーライス食べさせてくれる店でした。ちょうど"よさこい祭り"の頃で街も祭り一色だったのかな。旅館の下駄が夏の暑さに馴染んでいました。 まだまだ旅は続くのです。次なる場所は、窪川町。乞うご期待。 では。ま |
〜前略〜 そう言えば、あれから21年でしたね。 4月4日には、埼玉新都心でデラックスのライブやってました。よくぞこの歳までドラム叩いてこれたなーと、ふと思いました。勿論、これからも叩きつづけるんですけどね(^^;。 それにしても、浮き沈みの激しい世界に足を踏み入れてしまったものです。 初めて"暴威"をロフトで見た時は"なんじゃこりゃ"でしたからね。ただ、何だか分からぬパワーだけは感じたましたよ。 流れに逆らわず面白そうだったのでオーディション受けてメンバーになったんですが、北軽井沢の最初の合宿はすごく面白かったです。 軽井沢の駅から路線バスに揺られる事一時間、一週間の合宿でした。 ヒムロックは初日にPAの不備で声を潰してしまい、毎日釣り堀三昧でした。釣った魚は夕食のおかずになりました。他のメンバーは一枚目のアルバムの曲とレパートリー増やす為にピストルズの曲もカバーしましたね。目標は、そんなにムキになって考えてた様なそうでない様な(^^;。 俺が参加して初めてのロフトは、まあそこそこの入りだったと思います。 ロフトでワンマンができたって事で満足だった気がしますが、ヒムロックは後ろで見ている関係者に吠えまくってました。 ぼちぼちこんな話もしていきたいと思います。 では。ま |
〜前略〜 あれはいつだったかな?夏の盛りに四国にツアーしました。神戸まで楽器車で、そこからフェリーで高松へ。 カフェバーみたいな所でライブ。お客はいたような居なかった様な(^^;。アマチュアの様なイベンタークンの自宅に泊めていただきました。 その頃は既にメンバーは4人でしたかな。 次の日、みんなで海水浴へ。淡路島から四国を結ぶ鳴門大橋の近くで海水浴♪♪♪。マネージャーの土屋クンが、蟹を捕まえるのがあれほど上手いとは! その頃の俺様、まったく泳げず浮き輪につかまり数十メートル先の岩にたどり着くのがやっとの有り様(^^;。足のつかない所は怖くて仕方なかったざんす(^^;。 海水浴は、砂浜でビール片手の日焼け専門が性にあってるぜい。 イベンタースタッフの乗ってたヤマハの250、2サイクルバイクに跨がって、ヒムロックはノーヘルで堤防ぶっ飛ばしてたな、音が甲高かったの覚えてます。 そう言えば、近くに、SHIDO と言う町があったなあ、ピストルズのベースはシドだなー、何て言いながら。 さて、次の日は四国の山越えまして、土佐の高知のはりまや橋へ〜♪♪♪。イベンタークンの持っていた真っ赤なNISSAN フェアレディ2000、通称SR311 2シーター。幌はずして風受けながらのドライブなのさ。 大歩危、小歩危を見ながらの珍道中。布袋クンが助手席にすわったら、頭一つフロントウインドウから出てしまい、何気にバランスが・・・・・。チキチキマシーン(^^;。 通称グリーンホール、キャパ500ぐらいかな?それでもほぼ満員、余程ロックに飢えていたのか凄まじい盛り上がり。ステージにあがるは、椅子は壊れるは、ライブ中、ずーっと土屋マネージャーとイベンタースタッフと会館のおやじがステージサイドで言い合ってました、何故か俺の耳に話し声が聞こえてくるんだよな(^^;。 まあ、この先出入り禁止で一件落着だったのでしょう。 打ち上げは何故かカレーライス食べさせてくれる店でした。ちょうど"よさこい祭り"の頃で街も祭り一色だったのかな。旅館の下駄が夏の暑さに馴染んでいました。 まだまだ旅は続くのです。次なる場所は、窪川町。乞うご期待。 では。ま |
PartT 〜前略〜 さて、ぼちぼちの思いだしのお話。 窪川町からでした。 高知から西へ、夏休み気分満載のまま途中のマーケットでついにビーサン購入、ますますの夏休み気分♪♪♪。 着いた所は、窪川町体育館、昼飯に近所の定食屋で食事してましたら、何故かおやじが一人近付いてまいりました。なんでも原発反対派だそうで、訳の分からぬ事べらべら喋って飯食って去っていきました、ありゃなんだったのかいな?勿論飯代なんぞ頂いてはおりませぬ(^^;。 確かにあの頃は窪川に原発ができるとか出来ないとか騒いでましたっけ、でも、俺たちと何の関係があったのやら、わかんねー。 ライブは、若者だけじゃなくてちっちゃい子からじいさん婆さんまで、町中の人々のご参加でした。 さて、打ち上げしようと思いまさたが何せ小さい街、夜遅くは店も閉まっておりまして仕方なく町外れの街道沿いの、なぜか?道産子ラーメンざんす。餃子とラーメンとビールの打ち上げでした(^^;。 さてさて、次の日、また西に向かいます。目標地は、土佐清水市。 俺たちのおんぼろ楽器車を付け回すスクーター3台、良く見ると地元の高校生、しかも女子。あまりに飛ばして危ないのでとりあえず停車、サインと握手でお帰り願いました(^^;、土佐の女子は強いですな。 で、まだまだ旅は続くのです。 PartU 〜前略〜 ぼちぼちの話の続きです。 さあ、土佐清水市に向かいますが、まずは足摺岬へ、四国最南端の岬めぐりです。 灯台まで行ってきました。黒潮洗う太平洋は雄大でありました。 で、土佐清水市市民会館、なんとPAなし?慌てて会館のPA機材総動員で何とか、時代と言うか俺たちはベンチャーズみたいなインストバンドじゃねーっつうの(^^;。 お客もそこそこでちゃんとしたライブでしたよ。 それでも打ち上げは立派でした。 高知名物、"皿鉢料理"一つの大皿に刺身、寿司その他の料理が満載の豪華な一皿、堪能しました。 で、次は何故かカラオケざんす。スナックのカウンターに全員横ならび、マイクを順番に回して熱唱しました(^^;。 どうもその時の"熱唱"が裏で流れている様です(-.-)。 まったく、壁に耳あり障子に目あり、油断なりませんが、そんな物で商売すんな!よろしくー。 しかし、この旅はここでお終いではないんです。 この後、旅は愛媛、松山まで続くんだす。それはまた。続く。 では。ま |
〜前略〜 さて、ぼちぼち話の続き行きますか。 土佐清水でのライブを終えて次の日、また高知まで戻りまして、東京でのイベント出演の為、布袋クンだけ高速フェリーで大阪へそこから東京へ戻ります。残りのメンバーは、運転手のゾンビとマネージャーの土屋クンと又も山越えて松山までのドライブです。なかなかに四国は広うござんした。 俺の記憶が正しければ、この道中に、あの名曲"クラウディ・ハート"の詞がヒムロックにより書かれたのであります。 いつも移動中はノートと鉛筆にぎってましたからね。 さあ、松山ですが、まずの泊まりは町外れのビジネスホテル。次の日に備えまして一泊です。 松山は大きな街でした、アーケード街、大街道ぶらり、そしてお目当ての坊っちゃん湯"道後温泉"へ。 ちょいと多目のお金払いまして二階の座敷へ、道後の湯は、なんと言いましょうか、まったりした身体にまとわりつく、おもいお湯でした。じさまが湯船のふちに頭のっけて仰向けになってまして、すわ湯あたりか!と思いましたら、気持ち良さそうに寝てました、呑気なもんです。 たっぷりお風呂楽しみましてお泊まりは、ちゃんとした旅館でした。 勿論、夕御飯のあとは、みんなで麻雀大会となりまして、俺はだれかから麻雀歴初めての"大三元"をあがりましたが、次の回に大三元を振り込んでしまいました(-.-)。 結果は負けだったとおもいます(^^;。 それにしてもみんな元気ですね、次の日は海水浴ですから、おっと、松井サンは長湯がたたったか夏風邪でダウン。海水浴へは参加せず。 バスで松山から丸亀方面へ。鹿島と言う海岸から100メートルほどの小島に渡し舟で。 ゾンビとヒムロックは釣りに夢中になってました。 俺は一人で島の反対側へ、夏の瀬戸内海はまぶしかったです。 ステージの事は忘れてのんびりの日々でした。 最後の日、松山港から夜出発のフェリーにて神戸へ。 途中、丸亀港に寄ります、その時は全員でフェリーのお風呂に入ってまして、フリ○ンで丸亀の夜景を見ておりました(^^;。 そのあと俺は一人でビール片手に過ぎ行く瀬戸内の漁り火みながらいつまでも潮風に吹かれておりました・・・・。 では。ま |
〜前略〜 さて、今日は5月1日、この日の思い出ぼちぼちは。 あの日、みんなでバイクに跨がって"アリーナ37°"の取材を受けました。 渋谷NHKの裏手でした。 ヒムロックと松チャンと俺は"YAMAHA SR 400"と言う単気筒のバイク、布袋クンは、ベスパでした。 メーデーの交通規制があって走りにくかったなあ。でも四人でバイクで集まるなんて珍しいでしょ?。 中型免許は高崎の烏川自動車学校でヒムロック、松チャン、俺と3人でとったんですよ。 このお話はまた今度。 では。ま |