KYOSUKE HIMURO GIG at TOKYO DOME メディア関連


2011/4/18 東日本大震災復興支援チャリティライブ決定


<氷室京介>“俺流応援歌”全編「BOOWY」でチャリティーライブ(毎日新聞デジタル)

歌手の氷室京介さんが、東日本大震災の復興支援チャリティーライブを6月11日に東京ドームで開催することが18日、明らかになった。
全編がかつてボーカルを務めたロックバンド「BOΦWY(ボウイ)」の楽曲で構成されるといい、収益金はすべて復興義援金として寄付する予定。氷室さんは「互いの気持ちと力を合わせて支えあう運命の時。微力ではあるけれど俺なりに、過酷な状況下でいまも闘っているみなさんを応援したいと思います。We are down but never give up!」とコメントを寄せている。

 氷室さんは当初、50歳のアニバーサリー公演を予定し、3月14日に発表する予定だったが、その直前に震災が発生したため、公演はいったん見直しに。だが、氷室さんは、バンド時代やソロになってからも、全国ツアーなどで何度となく東北地方を訪れており、今年1月にも盛岡、仙台、福島・郡山を全国ツアーで回ったばかり。米・ロサンゼルスを拠点に活動しているため、CNNなどで震災の被害の映像を見てがく然としたといい、自身が行える支援の方法を模索し、取りやめようとした公演を復興支援チャリティーライブとして開催することにした。全曲が「BOΦWY」の楽曲で構成されるライブは、氷室さんにとって今回が初という。

 東京ドームでの公演は、「BOΦWY」の解散ライブを含め7年ぶり7度目。ライブは「KYOSUKE HIMURO GIG Aat TOKYO DOME “We Are Down But Never Give Up!!”」と銘打たれ、可能な限りの節電に配慮し、最小限の電力と機材で行う予定。



氷室京介、東京ドームで復興ライブ!(サンケイスポーツ)

ロック歌手、氷室京介(50)が東京ドームで史上初のチャリティー公演を開催することが17日、分かった。東日本大震災の復興支援を目的に6月11日に行われ、自身がボーカルを務めた伝説のロックバンド、BOOWY時代の楽曲を全編にわたって披露。1988年にソロ転身後、初めてのライブ構成で、被災地に向けて熱烈メッセージを送る。

日本最大規模のライブ会場で、被災者に届けとばかり、おなじみのシャウトを繰り返す。氷室が東京ドーム史上初のチャリティー公演を開催だ。

当初は50歳記念公演になる予定だったが、発表直前の3月11日に東日本大震災が発生。氷室は拠点を置く米ロサンゼルスの自宅で、CNNのニュースなどを通じて惨状を目にし、胸を痛めた。

早速、スタッフとともに公演自体の見直しに着手。節電のため最小限の電力、機材で行い、その収益のすべてを復興義援金として寄付することを決めた。公演のチケット料金は7800円で、5万5000人を動員予定。世界をまたにかける氷室らしく、スケールの大きい募金額となる。

さらにステージでは、ビッグプレゼントを用意した。全編をBO0WYの楽曲で構成するライブだ。氷室がボーカル、布袋寅泰(49)がギターを務めた同バンドは、1988年の解散後もカリスマ的な人気を誇る。それだけに、氷室は「BOOWYを歌うことで、多くの人がこのチャリティーに賛同してくれるはず」と決断した。

2004年に行った前回の東京ドーム公演では、「“21st Century Boφwys VS HIMURO”」と銘打ち、BOOWYとソロの楽曲を半分ずつ歌ったが、BOOWYで埋め尽くされるのは初めてだ。ソロ転身23年で、1度も口にしなかった楽曲も披露するという。

バンド時代を含めて約30年の歌手生活で、氷室は多大な被害を受けた岩手、宮城、福島でライブを繰り広げてきた。なかでも盛岡市、仙台市、郡山市は今年1月の全国ツアーで訪れたばかり。

被災地を思いやりながら、氷室はサンケイスポーツに寄せた文面で「互いの気持ちと力を合わせて支え合う運命の時 微力ではあるけれど俺なりに 過酷な状況下でいまも闘っている皆さんを応援したいと思います」と熱く決意表明。最後に英文で「We are down but never give up!(俺たちはドン底にいるけど、あきらめない)」と綴った。



氷室 東京Dで節電チャリティライブ開催(スポーツニッポン)

最小限の電力、機材で行い、チケット収益の全額を義援金として寄付する。氷室は「過酷な状況で今も闘っている皆さんを応援したい」と話している。
会場の東京ドームは、プロ野球の開催可否が問われた際、電力消費量の多さが問題となった。それだけに、電力消費も最小限で済むように考慮。ドームクラスのステージセットでは通常300台程度使う照明を、約100台に縮小。さらに、通常のライトの10分の1の電力で済むLEDライトを使用する。LEDライトは高額でレンタル料が高いが、イベント業者もライブの趣旨に賛同し通常より安価で対応するという。ほかにも通路の照明を半分にし、場内の冷房も使用しない予定だ。
氷室は現在、米ロサンゼルスを拠点に活動しており、震災発生時もロスにいた。CNNなどを通して被害を伝える映像を見ては、がくぜんとしていたという。公演に向けて「互いの気持ちと力を合わせて支え合う運命の時。微力ではあるけれど、過酷な状況下で今も闘っている皆さんを応援したいと思います。We are down but never give up!!(どん底にいるけれども、決して諦めない)」と話している。



氷室京介、初の全曲BOOWYライブ開催 復興支援で23年ぶり楽曲披露(オリコンスタイル)

ロック歌手・氷室京介が東日本大震災の被災者支援のため、全曲BOOWYの楽曲で構成するチャリティーライブを東京ドームで行うことが17日、わかった。1988年のバンド解散以降、全てBOOWYの楽曲でライブを行うのは今回が初めて。23年間歌うことのなかった楽曲も披露する予定となっており、収益の全額を復興義援金として寄付する。

当初、氷室の50歳のアニバーサリー公演を予定していたが、震災が起こったため公演内容を変更。復興支援ライブ『KYOSUKE HIMURO GIG at TOKYO DOME “We Are Down But Never Give Up!!”』として6月11日に開催することが決定した。一世を風靡し、未だ多くの支持を得ているBOOWYの楽曲を、ボーカルの氷室が今歌うことで多くの人のエネルギーになれば、と企画された。東京ドームでの公演は電力消費の問題などもあるが、可能な限り節電に配慮し、最小限の電力と機材で行う。

ソロ23年、バンド時代6年の約30年の氷室のキャリアの中で、岩手県、宮城県、福島県は幾度となく全国ツアーやライブイベントで訪れた、縁の深い地のひとつ。今年1月にも盛岡、仙台、郡山にツアーで訪れたばかりとあって、被災地の映像を見て愕然としたという。

氷室は「互いの気持ちと力を合わせて支え合う運命の時 微力ではあるけれど俺なりに 過酷な状況下でいまも闘っている皆さんを応援したいと思います We are down but never give up!」とコメントを寄せている。

BOOWYは氷室(Vo)、布袋寅泰(G)、高橋まこと(Dr)、松井常松(B)によるロックバンド。1981年に結成し、翌年アルバム『moral』でメジャーデビュー。アルバム『BOOWY』(1985年)から次第に確固たるバンドのサウンドを打ち出し、代表作は「Marionette」「B・BLUE」「わがままジュリエット」など。1988年、ファンに惜しまれながら東京ドーム公演を最後に解散した。



氷室京介、東京ドームで“全曲BOOWY”復興支援ライヴを開催!(CDジャーナル)

きたる6月11日(土)、氷室京介が、全曲がBOΦWYの楽曲で構成される、東日本大震災の震災被災地復興支援を目的としたチャリティ公演〈KYOSUKE HIMURO GIG at TOKYO DOME“We Are Down But Never Give Up!!”〉を東京ドームで行なうことが決定しました。

当初、同日・同会場では、氷室京介の50歳アニバーサリーとしての公演を予定しており、3月14日に発表をする準備をしていましたが、その直前に震災が起こったため、発表を見送り、公演自体が見直しに。東京ドームという場所柄、電力消費の問題もありますが、可能な限り節電に配慮し、最小限の電力、機材で行なうほか、このライヴの収益金の全てを復興義援金として寄付する主旨で行なうことが決定。

氷室自身、L.A.を拠点に活動しているため震災時は日本にいなかったとのことですが、CNNなどを通じて震災の被害の映像を見て、自身が行なえる支援の方法を考えた結果、今回の公演の開催へ。

被災地に収益金を寄付する目的と同時に、いまだなお、日本のロック史上最大の伝説のバンドとして多くの支持を得ているBOΦWYの楽曲を、ヴォーカリストである氷室が今歌うことで、ライヴに参加したそれぞれの人のエネルギーになればと、今回は全曲BOΦWY楽曲で構成したライヴとなる予定です。

氷室自身、ソロ23年、バンド時代6年という、約30年のキャリアの中で、幾度となく全国ツアーやイベントで岩手、宮城、福島を訪れています。また、宮城県で行なわれていた、現在のロック・フェスの先駆けとも言える〈ロックンロールオリンピック〉には、85年、86年、87年(BOΦWYで出演)、90年(シークレット出演)と、4回出演。そして今年1月にも盛岡、仙台、郡山に自身の全国ツアーで訪れたばかり。氷室にとって、宮城を中心とした東北地方は縁の深い地のひとつです。

BOOWYの解散ライヴとなった〈LAST GIGS〉を含め、東京ドームでの公演は7年ぶり、7度目となる氷室京介。2004年に〈21st Century BOOWY VS HIMURO〉と銘打ったライヴを東京ドームで行なっていますが、全曲がBOOWYの楽曲で構成されるライヴは今回が初。解散以降23年間、これまで歌うことのなかった楽曲も披露される予定。



氷室京介「歌うことでエネルギーになれば」全曲BOOWYでライブ(サーチナ)

ロック歌手の氷室京介(50)が、東日本大震災被災地の復興支援活動として、6月11日に東京ドームでチャリティライブを開催することが決まった。「微力ではあるけれど俺なりに過酷な状況下でいまも闘っている皆さんを応援したい」と、ソロ活動後初めてとなる全曲BOOWYの曲で行う予定だ。

ライブはもともと、自身の50歳を記念して行われるはずだった。しかし、震災の発生に伴い、3月14日に予定していた発表は中止、計画自体も見直すこととなった。震災の影響が長引くなか、氷室は「BOOWYの楽曲を今歌う事で、ライブに参加したそれぞれの人のエネルギーになれば」と、全てBOOWYの楽曲で構成するライブを行うことを決意した。

氷室はこれまでも「IMAGE DOWN」や「ハイウェイに乗る前に」など一部の楽曲は自身のライブでも披露してきた。しかし、全曲BOOWYの構成はソロ後初めて。デビュー20周年を迎えた7年前には「ようやっとBOOWYの曲と向き合えるようになった」と「BOOWY VS HIMURO」でBOOWYの楽曲を数十曲披露しているが、このときは氷室の楽曲を織り交ぜての内容だった。

解散後20年以上が経過しているがBOOWYの人気は衰えていない。それを反映するかのように今回の決定が報じられると、ネットの掲示板では喜びのコメントが多数書き込まれている。なかには「再結成」を望む声もある。

氷室自身は「互いの気持ちと力を合わせて支え合う運命の時、微力ではあるけれど俺なりに過酷な状況下でいまも闘っている皆さんを応援したいと思います」とコメントしており、距離を置いてきたBOOWYの楽曲を歌うことで、被災地に勇気を与えたい考えだ。(編集担当:武田雄樹)





BOOWYのメンバーのコメントを受けて


氷室京介の「全編BOOWY」チャリティーLIVE 残されたメンバー3人が胸中綴る(オリコンスタイル)

ロック歌手の氷室京介が、東日本大震災の被災者支援のため6月11日に予定していた東京ドーム公演を急きょチャリティーイベントに変更して開催すると18日に発表したが、内容も「今歌うことで多くの人のエネルギーになれば」と今も根強い人気を誇るBOOWYのナンバーを全編歌唱するということで、残りのメンバーからはまさに三者三様の反応があった。ギタリストの布袋寅泰はツイッターで、ベーシストの松井常松は公式サイトの日記で、ドラマーの高橋まことは公式ブログでそれぞれ感想を寄せている
この企画が情報解禁された18日、まず最初に反応したのは布袋。氷室と共にカリスマ的人気を誇る布袋に「ぜひ同じステージに立ってほしい」といった要望がSNSやサイトなどで多数飛び交ったが、布袋は冷静に「今日は一日中同じ質問やリクエストを浴びるのでしょう。僕の気持ちを察してもらえないのは淋しいことです。Twitter、今日は休憩」とだけ綴り、以降はブログなどでも沈黙を保っている。

一方、別の意味で「寂しい」と綴ったのは松井だ。氷室の企画は寝耳に水だったものの「素晴らしいことだと思う」と企画趣旨には賛同。BOOWYの曲を歌うことにも「ファンの人達も、このイベントに参加することで、復興支援に協力することが出来るし、何よりも、いま、彼がバンド時代の作品を歌うことで、どれだけの人達が、勇気と元気をもらうことができるか、それを思うと、確かに素晴らしい決断だと思う」と許容した。

その上で「でも、少し寂しい。どうして、声を掛けてくれなかったのか」といい、「僕一人の力なんて、決して大きなものではないけれど、でも、バンド時代の曲を演奏するというならば、微力ながらも協力したかった」と共にステージに立つことを望むコメントを綴った。「こんな時だからこそ、再び4人で手を握り合い、大いなる目的のために、協力し合うべきだと思った」と、今だからこそ“本当のBOOWY”を見せるべきだとし、「アーティストとして、素晴らしい決断だと思う反面、一緒に活動を共にしていた仲間としては、残念でならない」と胸の内を明かしている。

そんな二人と対照的に、高橋は翌19日のブログで話題に言及。「昨日の新聞、ヒムロック・ドーム公演の広告見ましたよ!!!」とやはり松井同様に報道で企画を知った様子だが、「何かやってくれると思っていましたので良かったです。まこと、応援してます。それぞれにやれる事やっていけばいいんだなあー。俺も出来る事少しずつやって東北、福島応援していきます」と全面的に賛同。BOOWY楽曲を歌うことにも「きっと、ボウイの曲で元気になれる方々がたくさんいるんだと思います。それを想うと、バンドに携わってきた俺も嬉しい気持ちになります」と肯定的に受け入れている。

1988年の解散から20年以上が過ぎた今もなお、再結成、再始動を望む声が絶えない伝説のバンド・BOOWY。解散以降、全編BOOWYの楽曲でライブを行うのは今回が初めて。未曾有の危機だからこそ、勇気づけられる楽曲を選んだ氷室、それを複雑、あるいは前向きな思いで見守るメンバー。当日のパフォーマンスが注目される。



布袋寅泰の願い「BOOWYの再結成を望む気持ちは皆さんと同じ」(オリコンスタイル)

ギタリストで歌手の布袋寅泰が20日、自身の公式ブログで「BOOWYの再結成を望む気持ちは皆さんと同じでした」との思いを明かした。氷室京介が「全編BOOWY」ライブを発表したことを受け、布袋もまた同日のツイッターで「今日は一日中同じ質問やリクエストを浴びるのでしょう。僕の気持ちを察してもらえないのは淋しいことです。Twitter、今日は休憩」と綴ってからその動向が注目されていたが、ついに自ら沈黙をやぶった。

これまで氷室と布袋の不仲説をはじめ、さまざまな噂や憶測が広まっていたが、伝説のバンド・BOOWYの再結成を布袋自身もまた望んでいたことが明らかになった。

発端は18日早朝、東日本大震災を受け、氷室が6月11日に東京ドームで予定していた自身の50歳のアニバーサリー公演を全編BOOWY楽曲によるチャリティーライブに切り替え、収益金全部を寄付するとメディアを通じて発表。報道で情報を知ったドラムの高橋まことが「何かやってくれると思っていましたので良かったです」と全面的に賛同するコメントをブログで発表したが、ベースの松井常松はチャリティーとその行動には賛辞を送る一方で、「でも、少し寂しい。どうして、声を掛けてくれなかったのか」と複雑な胸中も吐露した。「バンド時代の曲を演奏するというならば、微力ながらも協力したかった」と。

 そして布袋自身がツイッターで冒頭の「僕の気持ちを察してもらえないのは淋しい」と残した一文が誤解を招いたのか、ファンからは布袋に参加を呼びかける声が各サイトやSNSに多数寄せられた。その上で布袋はこの日のブログで「語らぬことで自分の気持ちが不本意な形で伝わってしまうならそれは語らぬ自分の責任です。ここではっきり申し上げるべきでしょう」と前置きし、BOOWY再結成を望んでいたと初めて認めた。

 それが恒久的な再結成かどうかはさておき、氷室が「勇気づけるにはBOOWYの楽曲を」と考え、松井が「こんな時だからこそ、再び4人で手を握り合い、大いなる目的のために、協力し合うべきだと思った」のと同じように、布袋自身もまた「大震災直後、被災地の皆さん、そして復興に向け力合わせる多くの皆さんに自分の持つ力を最大限に発揮し貢献できるとしたらそれはBOOWYの再結成しかない」と考えたという。ところが「残念ながらそれは叶いませんでした」と無念の内を明かし、布袋サイドから氷室に再結成を呼びかけていたのが水泡に帰したか、氷室から何も相談がなかったことを示唆している。

ただし、布袋も今回のチャリティーは松井や高橋同様に賛同している。「どうぞ誤解しないで下さい。氷室京介氏の復興支援に向けたアクションは、彼の信念に基づいた選択であるはずです。僕はそれを否定的にとらえる気持ちなど全くなく、リスペクトしています」。と同時に「自分の中で踏ん切りがつきました」とも綴っており、布袋の中である決意が固まったことも示唆している。

過去は否定せず「これからもBOOWYのギタリストであったことを誇りに沢山の皆さんにパワーを与えられるよう力の限り自分の音楽を奏で叫び続けてゆくつもりです」と改めて表明。バンドは「メンバー4人だけのものではく、ファンの皆さんのもの」とし、「それぞれの思い出と共に、いつまでも色あせる事なく皆さんの心の奥で熱いBEATを打ち続けることを信じ、祈っています」と結んでいる。

6月11日には解散後初めて、23年ぶりに全編BOOWYナンバーを歌う氷室。歌声、楽曲とともに自身の口から語られるその“真意”も注目される。



氷室京介のチャリティーライブに“意味深発言”の布袋寅泰がブログで真意を明かす(RBBTODAY)

氷室京介がかつて所属した人気ロックバンドBOOWYの曲だけを演奏するチャリティー公演を開催することを発表して話題となったが、18日Twitterで意味深な発言をした布袋寅泰が、ブログで「リスペクトしている」と真意を明かしている。

「語らぬことで自分の気持ちが不本意な形で伝わってしまうならそれは語らぬ自分の責任です。ここではっきり申し上げるべきでしょう」との書き出しで日記は始まった。

 「BOOWYの再結成を望む気持ちは皆さんと同じでした。大震災直後、被災地の皆さん、そして復興に向け力合わせる多くの皆さんに自分の持つ力を最大限に発揮し貢献できるとしたらそれはBOOWYの再結成しかない、と考えましたが、残念ながらそれは叶いませんでした」と、布袋寅泰にBOOWYの再結成の意志があったことを綴っている。

「しかし」と布袋は続ける。「誤解しないで下さい。氷室京介氏の復興支援に向けたアクションは、彼の信念に基づいた選択であるはずです。僕はそれを否定的にとらえる気持ちなど全くなく、リスペクトしています」と氷室京介との確執を否定している。

 また、布袋は「そして同時に自分の中で踏ん切りがつきました。これからもBOOWYのギタリストであったことを誇りに、沢山の皆さんにパワーを与えられるよう力の限り自分の音楽を奏で叫び続けてゆくつもりです。変わらぬ応援をよろしく申し上げます」としている。

既報のとおり、同バンドで氷室と人気を二分したギタリストの布袋寅泰は18日、Twitter上で「今日は一日中同じ質問やリクエストを浴びるのでしょう。僕の気持ちを察してもらえないのは淋しいことです」とツイート。氷室のコンサートに対して否定的な態度であると憶測されていた。反響の大きさに自分できちんと説明したほうがいいと判断し、今日のブログとなったと思われる。



佐久間正英ブログ4/21.22


今回の震災後不思議なほどにBOΦWYの話し、ことに再結成話しに解散以後初めて公が触れた様に思う。

震災後の布袋君のtweet「今何かできること…」の発言に対し、僕は無責任に「今こそBOOWYを!」みたいなコメントを寄せた。
実に無責任ではあるけれど、かつての仲間の一員だった者としてそれしか思いつかなかった。そしてそれは自分にとっても多くの人達にとっても同様にずっと夢であり希望でもあったのかも知れない。

BOOWY解散後、その後のメンバーの活動に最初に関わったのは松井君のソロアルバム『よろこびのうた』だったかと思う。BOOWYでの立ち位置とは全く別の視点からの音楽がとても新鮮でありかつ斬新な意欲作だった。
ほとんど同時期に氷室京介の『NEO FASCIO』の企画が飛び込んで来た。
丁度そのタイミングで急な病気を患って緊急入院をした。その入院先に松井君とヒムロックが一日差で見舞いに来てくれたのを思い出す。もちろん町の小さな病院はパニックだが。

退院そうそうの初仕事が『NEO FASCIO』。病み上がりにはあまりに重い仕事だったのを思い出す。2ヶ月近くギターもベースも手にしていなかったので、感覚を取り戻すのに必死だった。「Summer Game」のギターソロ、指が痛いのに何テイク弾いたことか…。結果プロデューサー人生の中でも特別な想いのあるアルバになった。

その後ドラムの高橋まことのDe-Lux をプロデュースし、その後のバンドGEENAにも関わった。ヒムロックとも時間を置いてからまた一枚シングルに関わった。

そんな思い出話はともかく。

いまだにBOOWYを思い返すと、あんなすごいバンドはあれ以後存在しなかったなぁと思う。もちろん時代は多様化しいいバンドはたくさん居たし今のバンドでもそうだと思うけれど。それでも当時のライブバンドとしてのBOΦWYを越える演奏ができるバンドには残念ながら出会ったことは無い。(BOOWYとは違った視点で言えば、エレカシやジュディマリやGLAYや筋少らのライブはもちろん本当に素晴らしいけれど)
タイトでスピードがありかつヘビーなのに何とも柔軟だった。そのくせ眩しいほどの華があった。ロックのロックたる所以と歌謡曲に通じる大衆性を見事に併せ持っていた。それを究極にシンプルな構成で具現していた。

BOOWYのことを文章化するなど生まれて初めてだけれど、そんな感想と憧憬を未だに抱く。そんなバンドだから再結成に夢を託してしまうのだな、と改めて思う。

一度解散したロックバンドの再結成ほどみっともないことは無い!と自分がロックバンドを続けていた身として確信している。それでも彼らだけは別だったな、と。


昨夜のブログに書きき切れなかったことをひとつ。
何故僕がBOOWYだけは再結成に拘り大きく期待をするのか。

知っている限りバンドの再結成とは:
1.良くてその全盛期の演奏・興奮の再現。
2.多くはそのバンドの全盛期には追いつけない。当時の衝動や勢いに戻れない。ノスタルジーにしかならないケースも多い。

いずれにせよ当然ながら解散期間が長ければ長いほど再結成した上でのパフォーマンスレベルの向上は難しくなる。

自分の経験から述べても、例えば四人囃子の場合かつての演奏(森園脱退以前=1976年頃か?)にはやはり遠く及ばない様に思える。全員が未だに現役の経験豊かなミュージシャンとして活動を続けているにも関わらず。
元々ノン・ミュージシャンであったPLASTICSの場合は言わずもがなだ。

そんな事から基本バンドの再結成ストーリーにはあまり興味は湧かない。

ところがBOΦWYの場合、その後の4人は解散当時とは比べものにならないほどミュージシャンとして成長を遂げている。
あの時点ですらあれほどの演奏を出来た4人が、今の各自のレベルを持って再び揃ったとしたらそれはどんなすごいバンドになるだろうかと夢想する。解散時のBOΦWYとは比べものにならないライブになるに違いない。
世界中のどのロックバンドにも引けを取らないモンスターバンドになれるかも知れない。例えて言うならU2やらストーンズやらと並べてもおかしく無い様な演奏を見せてくれるだろう。
そんなすごい日本のバンドを見てみたい。しかもそのバンドが幸いにもかつて自分がプロデューサーとして関われたバンドだ。

アルバム2枚、12インチ1枚くらいしか付き合わなかったバンドなのに今でも一番鮮明で鮮烈な記憶が残っている。そんなバンドとはなかなか出会えない。

最後にもうひとつ。
”ただのギタリスト”に戻った布袋君の演奏を見たい。その場しか彼が”ただのギタリスト”(それもとんでもないギタリスト)に戻れるチャンスは生涯無いだろうからだ。



BOOWY復活は完全消滅? 再結成しないバンドのウラ事情( MEN’S CYZO)

ロック歌手の氷室京介(50)が、6月11日に予定する東京ドーム公演をチャリティーライブに急きょ変更し、かつて所属していた伝説のロックバンド・BOOWY(ボウイ)の曲を全編にわたって歌うことを発表したというニュースが波紋を広げている。

1980年代に絶大な人気を誇ったBOOWYは、「B・BLUE」「わがままジュリエット」「Marionette」などのヒットを次々と飛ばしたが、結成から7年後となる88年の東京ドーム2Days公演を最後に、人気絶頂期にもかかわらず突如として解散。彼らの音楽性やビジュアルを重視したスタイルは同時代のバンドはもちろん、GLAYなど現在活躍するバンドにも大きな影響を与えている。

再結成を望むファンの声は強かったが、今回の氷室のライブは"一人BOOWY"であり、かつての仲間には全く声を掛けていなかったようだ。このニュースを知った元メンバーの布袋寅泰(49)、松井常松(50)、高橋まこと(57)は、それぞれ自身のブログで心境をつづっている。「何かやってくれると思っていましたので良かったです」と手放しで氷室を応援する高橋に対し、「確かに素晴らしい決断だと思う。でも、少し寂しい。どうして、声を掛けてくれなかったのかと」と不満を見せた松井、そしてバンド時代に氷室と人気を二分したギタリストの布袋も、何か引っ掛かりを感じさせる記述をしている。

布袋のブログの文章は以下のようなものだ。

「BOOWYの再結成を望む気持ちは皆さんと同じでした。大震災直後、被災地の皆さん、そして復興に向け力合わせる多くの皆さんに自分の持つ力を最大限に発揮し貢献できるとしたらそれはBOOWYの再結成しかない、と考えましたが、残念ながらそれは叶いませんでした」
氷室と共に中心メンバーであった布袋が再結成を望んでいたとなれば、氷室の意思次第でBOOWY復活が実現していた可能性は非常に高そうだ。布袋は続けて「しかし氷室京介氏の復興支援に向けたアクションは、彼の信念に基づいた選択であるはずです。僕はそれを否定的にとらえる気持ちなど全くなく、リスペクトしています」と、噂されている氷室との確執を否定したが、「そして同時に自分の中で踏ん切りがつきました」とも記しており、再結成が完全に消滅したことをにおわせている。

「BOOWYの解散理由は諸説ありますが、ドラムの高橋が著書で語ったところによれば、布袋が当時の妻・山下久美子のサポートメンバーとして高橋と松井を誘い、バンドの4人中3人が山下のツアーに参加することになった。氷室をのけ者にしているかのような状況になり、ゴタゴタがあった末に布袋が解散を口走ったと言われています。氷室と布袋の音楽性の違いや、氷室のナンバー2でいることに対する布袋のコンプレックスも当時はあった。ほかにも理由はあるでしょうが、氷室にとっては再結成を考えにくい解散理由だったことは十分に察しがつきます」(音楽関係者)

BOOWYの復活が消滅したとなれば、ファンとしては寂しいところ。近年は往年の人気バンドの再結成ブームとなっているが、再結成するバンドと再結成しないバンドは何が違うのだろうか。

「ミもフタもない言い方ですが、バンドの再結成の理由はほとんどがお金。ソロで十分にやっていけているミュージシャンなら、わざわざ過去の栄光にすがったりしないでしょう。特にロックのイメージからすれば、かなり格好悪いことですからね。それに加えてメンバーの不仲が原因で解散することが多いですから、確執が解消しなければ再結成はない。BOOWYと同じく元メンバーからもファンからも再結成を望まれているチェッカーズも、藤井フミヤに再結成の意思が全くなく実現は厳しい。象徴的存在であるボーカルがウンと言わなければ再結成はあり得ないですから、ボーカルがソロで成功して金銭的に余裕がある場合は難しいでしょうね」(前出)

仮にお金が理由だとしても、ファンからすれば再結成はうれしいことには違いない。こんな時代だからこそ、確執を乗り越えて我々に夢を見せてほしいものだ